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デザインと経営、両方やっているからこそできることがある

─ 女性起業家、バッグデザイナー、社長・・・。さまざまな肩書きをもつ山口さんですが、ご自身が思う「私の肩書きはコレ!」というと?
難しいなあ・・・もう本当に媒体によっていろいろ(笑)。
実際やっていることは、半分がデザイナーとしての仕事で、半分が経営なんです。
でも、お金の感覚をもちながら、いいモノを作ろうとするのは本当に大変。その二つは乖離してるんですよね。

たとえばサンプルを作っていても、ミシンで縫って仕上げている間に、コストがなんとなくわかっちゃうんですよ(笑)。
コストがこれくらいだから、お店に並べたらこのくらいの価格になるな。すると、これくらい売れるかな、って。そうすると、利益度外視で新しいものを作りたいという気持ちと毎日葛藤(笑)。

でもその反面、経営をやっているからこそいいモノが作れるっていう感覚もすごくあるんです。
生産から物流、店舗でのディスプレイ・・・最終的にはカタログのディレクションまでして、さらにお客様の満足を考慮し、ケア設計まで。そこまででひとつのモノづくりなんですよね。だからこそ、一貫性のある商品構成、デザインができる
のかなって思っているんです。

インタビュー(後編)株式会社マザーハウス代表 バッグデザイナー 山口絵理子さん

私自身が店舗に立ち、お客様をみて、話して、はじめて得られる情報もたくさんあります。作りたいっていう気持ちが萎えたときも、お店に立つことで、ああこの人たちの期待をいい意味で裏切るような商品を作りたいってエネルギーを得られる。そして、それを工場に持ち帰り、新しいモノ作りに活かす。

工場のみんなも、毎回毎回新しいモノにトライできるのをすごく楽しみにしているんです。みんな純粋にモノづくりが楽しいんですね。その様子をみていると、もしサンプル作りが日本で完結していて、ただ生産するだけという工場だったら、今のこの工場の雰囲気は生まれなかっただろうな、と痛感しています。

自分の中で働くのと生きるのは一緒

インタビュー(後編)株式会社マザーハウス代表 バッグデザイナー 山口絵理子さん

─ 30歳目前の一人の女性として、結婚や出産をそろそろ意識していらっしゃいますか?
もちろん(笑)。
だって(出産なんて)まるっきり未知の世界じゃないですか(笑)。
だからすごく興味があるけれど、でもやっぱり今はこのマザーハウスっていう会社が一番。だって、会社自体がまるで自分の家族というか、赤ちゃん・・・子どもみたいなものなので。

じつは「マザーハウス」という名前は、尊敬するマザー・テレサのマザーと、みんなが安心して帰ることのできる場所、“家”のような存在になりたいという気持ちから名づけたんです。

バングラデシュにいたとき、路上生活をする人を見て、自分に帰る場所があると思えることがすごく幸せだと感じていたんですね。でもやっぱり、この国には道にしか帰れない人がいる。だから、そういう安心・安全な場所になれたらいいなあと。

今、マザーハウスの工場へ行くと、その名のとおり本当に“家”みたいな雰囲気で、工場のみんなが働いているんですよ。そして、そのひとりひとりの工員たちのうしろには15人くらい親戚がいて、彼らは自分ひとりでその15人を養っているんです。

だから、そのスタッフの人生をしっかり守らなければいけない、私は自分の背中にたくさんの気持ちを背負っているんだから、って強く思うんですね。

そうするとやっぱり、自分がいなくなっても大丈夫と思えるくらい会社を成長させてから、自分の幸せを、と(笑)。
もっとも今は会社の幸せと自分の幸せがいっしょなので。やっぱり創業者だから。

─ そうなると、まだまだ休めないですね(笑)
ゆっくり休むことはできないですけれど、でもその苦しさが楽しいと思えるから。
たぶん、いま、いわゆる“ふつうの生活”に戻れっていわれても難しいでしょうね(笑)。とにかく、もうこれ以上楽しいことってないなと思いながら仕事をしているくらいですから。

─ そういう仕事を持てたというのは本当に幸せなことですね。
そうですね。
やっぱりそれは、自分自身で会社を立ち上げて作ったからだとは思うんですよ。自分の人生のゴール=会社のゴールとして、まさにライフワークと思ってやっているので。

講演会などでもよく「山口さんにとって働くってなんですか?」っていわれるんですが、自分の中では、働くのと生きるのが本当に一緒なんです。
“天職”という言葉じゃないけど、バングラデシュに行ったことで、自分で自分の生き方をみつけることができた。このマザーハウスは、まさに自分が生きてきた証そのものなんだなあ、って本当にそう思えるから。

まあ、それくらいの勢いがないと立ち上げられなかっただろうなと思うくらい、まわりから「ぜったい無理だ」って言われてたんですけどね(笑)。

インタビュー(後編)株式会社マザーハウス代表 バッグデザイナー 山口絵理子さん

彼らだけがもつものがある。それをリスペクト(尊敬)できたときから、少しずつ距離が縮まっていった

─ そんなマザーハウスですが、今に至るまでに、製作費が返ってこなかったり、契約工場でパスポートを盗まれたり、突然工場がもぬけのからになっていたり・・・
と相当いろいろな問題が起きたようですね。

工場で、いきなり大家さんから出てけって言われたときは衝撃でしたね(笑)。

ある日いきなり手紙がきて「一週間以内に出て行って」といわれてびっくり。もう工場が稼働していたときでしたから、1週間でみんなが働く場所がなくなっちゃう。いやなくなるどころじゃない。このテーブルも、素材も、ぜんぶ工場に置いてあるのに、どうしたらいいんだろう・・・ってもう頭が真っ白。
あのときは、本当にどんだけ理不尽な国なんだって怒り心頭でした(笑)。

ワイロ社会ですから、訴えようとしてもお金をもっている人が勝つ。正義もなにもない国なんですよ(笑)。だから、この急場をどうやって切り抜けようと、前向きなことしか考えない(笑)。

結局、どうにか一時的に借りられる工場は見つけたんですが、それがまた本当に劣悪な環境で・・・。新工場が完成するまで大変でした。
でも、そんな状態にも関わらず、工場のみんなは、変わらず私のそばにいてくれ、励ましてくれたんです。
それは、私がはじめて、国が違っても、文化が違っても、彼らとは本当に心がつながっているんだ、と思えた瞬間でした。みんなのためにも、なんとかこの危機を乗り越えよう、そう心に誓ったんです。

─ 社会環境も国民性も大きく異なり、次から次へと問題が起きるバングラデシュで、ここまでビジネスを軌道にのせることができた理由はなんだと思いますか?
とにかく・・・続けること、でしょうか。
バングラデシュへは、日系企業の方も多くいらっしゃるんですが、断念して帰られる方が本当に多いんですよ。「だって彼らにはできないじゃん」とか「いくら怒っても怒っても、彼らは変わらないよ」といって。

実際そうなんです。問題もたくさんあるし。
でも、「違う国なんだから、日本人の私が思うようにならなくても当たり前。それに、たとえ“そんな国”だとしても、続ければわかってくれる人が100人中1人はいる」、私はそれを信じて続けてきました。
それでもやっぱり何度も裏切られたし、買ってきた素材や機材が全部なくなっちゃったときには「いったい私は何のためにこんなことをやっているんだろう」って思ったりもしましたけど。

でも、今思えばそれも自分自身が成長するいい機会だったなあって。 だって裏切ったその人を責めるのは簡単だけれど、そもそもそういう国なんですから。
ストライキも多くて、政情不安定で、そんな国で生きている人にとっては、社会的なビジョンや会社の未来なんてどうでもいいことなんですよ。重要なのは、明日食べられるか食べられないかということ。来月仕事があるのかということなんです。

インタビュー(後編)株式会社マザーハウス代表 バッグデザイナー 山口絵理子さん

もっとも、そういう現実を受け入れるのは、最初はすごく大変でしたね。日本人の感覚だったら、「これくらいやってくれるよね」「当たり前だよね」「会議に遅れないなんて当然だよね」って思う、そういう当たり前がないんです。そういう国なんですよ。
でも、そのうちそれなら逆に(日本人にはない)彼らしかもってないものがあるんじゃないか、と思い始めて。

インタビュー(後編)株式会社マザーハウス代表 バッグデザイナー 山口絵理子さん

実際、ここにしかないもの、彼らだからこそもっている熱気やエネルギー。私たちにはないそういったものが、じつはたくさんあるんです。それこそジュートなんて、まさにそうですし。年間100%の成長率で成長している国ってそうはないですよね。

でもバングラデシュにはそういう国だけがもつ熱気が確かにある。たしかに問題はあるけれど、それも含めて“発展途上”なんです。そういったことをきちんとリスペクト(尊敬)できたときから、少しずつ彼らとの距離が縮まってきたような気がします。

最初、失敗を繰り返してばかりいたのも、その頃の自分に上から目線ともいえる、教えて「あげる」伝えて「あげる」という気持ちがあったんじゃないかと思うんですね。言葉にはしなかったけれど、やっぱり向こうはそれを感じていたのかもしれない。

それが変わったころから、私自身の仕事の進め方も変わり、たとえば生産ラインを組み立てるときにも、デザイン開発をするときにも、彼らの意見を聞き、尊重し、そしてやらせてみる、というようになっていったんです。つまり本当の意味で気持ちが対等になった、それがすごく重要な変化でしたね。

このバッグにつまっている何かそれは、私たちだけにしか生み出せない

─ 「先進国でも十分通用するような魅力的な商品を」というマザーハウスの商品ですが、これはどんな一流メーカーにも負けないというのはどんなところだと思いますか?
やっぱり、「温かさ」ですね。
マザーハウスにいらしたお客様のほとんどが「ここの商品は、なんとなくあったかい気がするね」って言って下さるんですが、それってなんでかっていったら、作るプロセスがちがうからじゃないかって思うんです。

モノって、どういう環境で、どんな人間が、どんな気持ちで作っているかっていう背景、いわゆるストーリーが大きく影響しますよね。その意味で、私たちの工場だけが生み出せる温かさが本当にあるんですよ。

たとえば、工員ひとりひとりが、作っているモノに対して本当に誇りが持てる状況を作ろうっていう気持ち。
たとえばマネージャーが工員に対する接し方ひとつひとつ。みんなで給食を食べること。エプロンを着ること。IDカードをもつこと。メディカルチェックをすること・・・

いろんなことがほかの工場とは全然違う。それが商品に表れているんだって思うんです。

インタビュー(後編)株式会社マザーハウス代表 バッグデザイナー 山口絵理子さん

卸業から直営店展開にしていったのも、お店もあったかい雰囲気にして、そこに商品をおくことで、その温もりを一直線で伝えたかったから。そうしたら、やっぱりお客様もそれをちゃんと感じてくれていて、「このバッグで就職活動がんばりました」といった、たくさんの手紙が届くんです。それって、単に“モノを買う”ことに終わらず、モノと一緒にお客様に新しい何かがはじまっているっていうことですよね。それは、マザーハウスの商品の背景がわかっているから、そういう風に言ってくれるのかなと思うんです。

今の時代、これだけ多種多彩なバッグがあるなかで、選んでいただくことは容易ではありません。でも、外見だけじゃない、お客様が感じてくれるこのバッグにつまっている何か、それは私たちにしか生み出せないと思っているんです。デザイン×ストーリーって社内では言っているんですが、私たちの会社には、ストーリーがある。それこそオンリーワンじゃないかって思うんですね。

インタビュー(後編)株式会社マザーハウス代表 バッグデザイナー 山口絵理子さん

素材や価格、デザインをコピーすることはできるけれど、物語だけはコピーできない。私たちの工場の雰囲気まではコピーできないから。

そう考えると、本当に大事にしたいものって、やっぱり人
なんですよね。人が仕事をつくる。人がモノをつくる。人がストーリーを作る。だから、しっかりと愛情を注いで会社を大きくしたいなって思いますし、その部分だけは誰にも負けないぞって思っています。

─ スケッチブックに夢を描くというエピソードがありましたが、もっとも最近描かれた夢といえば?
今バングラデシュとネパールでやっていること、それをもっと大きくし、いろんな国に広げていきたいっていうのは変わらずありますね。 バングラデシュで始めて、大きな可能性を感じたので。違う国でもきっとそうだと思うんですよ。

だから、世界中のさまざまな国や素材、人々といっしょに新しいモノづくりをしていきたいなあって。もちろん販売サイドも日本だけでなく、もっとグローバルに。それは起業当初から変わらない夢であり目標ですね。

前編はこちらから

読者からのQUESTION

「山口絵理子さんにお聞きしたいこと。小学校時代はいじめに遭い不登校となったようですが、それを克服した経験と、現在同じ様にいじめにあい不登校になってしまった人に、一言力になれる言葉があれば聞きたいです。」(steam_eyeさん)

私の場合、母親の存在がすごく大きかったですね。当時すごく悩んでいて、いじめられていることすら両親に言えずにいたんですが、親はやっぱりわかっていたんですよね。母は母なりにすごく悩んでいて、カウンセリングに行ったり、先生に相談したり、いろいろやっていたんです。その悩んでいる様子が書かれた、母の日記を見つけて・・・子ども心に「なんて苦労をかけているんだろう」って思ったんです。それまでは自分ひとりで抱えている悩みだと思っていたけど、違ったんだって気づいて。それで、「1時間でもいいから学校に行こう」って思ったんですよ。

最初は門をくぐるのも難しくて、一瞬門をさっと飛び越えるのがやっと。それでも「今日はがんばった」って自分に言い聞かせて帰る(笑)。そして、次は玄関まで、下駄箱まで、っていうのを続けて、そのうち1時間目まで座っていられるようになったんです。泣きながらですけど。それから、もうほんとにちょっとずつ、ちょっとずつ学校にいる時間を増やしていって、最終的に5年生ぐらいだったかな。6時間目までいることができた。そのとき、「ああ、自分でも学校へいけるんだ」って思ったんですよね。「学校なんて絶対に行けない。二度と行けない」って思っていたけれど、努力すればできるんだって。

学校へ行くなんて、ほかのみんなからしたら当たり前なことなんだけど、当時の私にとっては、本当に奇跡みたいなことだったんです。でも、それができたことで変わった。ちょっとずつ、ちょっとずつでいいから、続けていればいつかきっとできる。その気持ちは今も続いています。まさに私の原点、原体験ですね。不登校だった子が、いきなり学校へ行けといわれても難しいと思うんです。やっぱりどんなことでも、それなりに時間ってかかるものだと思うから。逆に時間が長くかかるものじゃないと、長く続かないし(笑)。

柔道もそう。最初は県大会一回戦負けだったけど、ちょっとずつやっていったら最後は全日本へ行けた。ビジネスもそう。最初は、みんなに無理、絶対成功するわけないっていわれたけれど、一店舗一店舗増やしていく。バングラデシュもそう。いきなりいいモノを作ろうとしても出来るはずがない。工場だって最初はたった4人だったけど、一人ずつ増やしていって今は5店舗分を作るくらいに成長している。

今って、なんにでもすぐ結果を求める時代じゃないですか。とくに日本にいるとそう思う。でも、そんな期待値っていうのは、みんなが考えるより、もっとずっと低くていいと思うんですよね。変化、人を作るっていうのは時間がかかるものだから。だから、ちょっとずつでいいから希望を失わず続けてほしいですね。

(インタビューの内容は、取材当時(平成22年11月)のものです)

山口絵理子さんプロフィール

山口絵理子さん

1981年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学総合政策学部卒業、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程修了。小学校時代いじめにあい不登校に、中学時代はその反動で非行に走るが、柔道に出会い更生。強くなりたいという思いから高校の「男子柔道部」に自ら飛び込み、全日本ジュニアオリンピック第7位に。偏差値40から受験勉強3ヵ月で慶應大学総合政策学部にAO入試で入学。大学4年の時、米州開発銀行でインターンを経験。そこで途上国援助の矛盾を感じ、アジア最貧国「バングラデシュ」を訪問。貧困や汚職といった現実を目の当たりにしたことから、日本人初のバングラデシュBRAC大学院生に。途上国に必要なのは施しではなく先進国との対等な経済活動という理念から、23歳で起業を決意。2006年、バングラデシュ特産のジュート(麻)を使った高品質バッグを現地で生産し輸入販売する「株式会社マザーハウス」を設立、代表取締役社長に。フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト2006最優秀賞受賞。著書に『裸でも生きる−25歳女性起業家の号泣戦記』『裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける』(いずれも講談社刊)。

※平成24年10月1日現在の情報です。

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