日本の年中行事で、いま都会の大人が意識するのはそれこそ「盆と正月」くらいでしょうか。
お盆はお正月ほどの存在感もなく、ただ会社が休み、という感覚の方が多いかもしれません。
めんどうだ、非合理的だと省みられなくなってきた節句というものを、私は大変便利だと思っています。
形式を踏んで穢(けが)れを落とし、翌日からさっぱりとした新たな気分で暮らす・・・
こころのリフレッシュ制度としては、うまくできています。
そこそこに日々忙しく、そこそこに刺激のあるようで、じつは生活にめりはりのつかない現代。
いいとこどりで、節句を利用してみませんか。
たとえばお盆休み中の半日、「お盆をするぞ」と決めます。キーワードは「清め」。仏壇はありませんが、ご先祖様をお迎えするつもりで、まずは家をきれいにお掃除。夕方、玄関を水拭きします。
それからゆったりと座って目を閉じ、ご縁のあった亡くなった方たちのことを思い出し、感謝します。
仕事に追われていると、生きた人間だけが世界を支配していると思いがち。違う世界を想像し、自分を見つめる時間をもつのもいいものです。
私はその日、近くのお寺に行きます。家の菩提寺でもなくても、お寺はあの世とのゲートだと勝手に解釈して、先にあの世に行った人たちにご挨拶に伺うのです。
血縁だけにこだわらなくてもいいと思います。近所の人が挨拶してくれてもちょっと嬉しいのではないかしら。
夕食に並ぶのは野菜。
梅あえ、トマト、なすのしのぎ焼き・・・手はかけませんが、精進料理のつもり。
なすをおだしで塩味を強めに煮て冷たくひやした翡翠煮は、私の母のお盆の定番です。
お盆といえば、おはぎ。お米、砂糖、小豆、どれも大切な食材でした。昔は母が作りましたが、いまはお店で買ってきます。自分たちが食べる分より多く買ってお供えします。
ご先祖様の霊が乗るという、なすの牛、きゅうりの馬を作ってお供えするのも楽しいでしょう。
お盆は盂蘭盆会(うらぼんえ)という仏教の行事ですが、民間信仰や神道の要素も加わり、様々な風習があります。私たちも、身の丈にあったそれぞれのお盆でいいのではないでしょうか。お金がなくても、帰省しなくても気持ちひとつでりっぱなお盆になると思います。
小さいころは、母の実家である山形に毎年行っていました。玄関には蓮が飾られ、たくさんのお供え、町じゅうが宴会で出入り自由と、たいそうにぎやかなものでした。
帰省先がない身としては、故郷のお盆というのもいいなと思いますが、ラッシュや親戚の人間関係、お嫁さんとしてこき使われるなど、「帰省がつらい」という話もよく聞きます。
それなら、「この苦労がすべて厄落としになる!」と発想を前向きに切り替えてはどうでしょうか。それも無理なら、いっそきっぱり断ることも考えては。
自分がやるならやる、やらないならやらない。愚痴を言いながらずるずるでは、貴重な時間がもったいないような気がします。
(記:森荷葉)