前回の記事で、今年7月に行った、九州・福岡県・柳川市の庭園「旧戸島氏邸・庭園」を紹介しましたが、
今回はその続編で、柳川を代表する名跡「柳川藩主立花邸・御花」を紹介します。
江戸時代のはじめ、柳川藩を治めていた田中家は後継がなく、立花宗茂が旧領の柳川藩に復帰。
立花宗茂は、関ヶ原の戦いで改易した大名で旧領に復帰した唯一の武将とのこと。
それ以降、明治4年に廃藩置県で藩制度が廃止されるまで、12代にわたって立花氏が柳川藩主を務めました。
5代藩主の立花貞俶が「御花畠」と呼ばれていた柳川城の敷地内に別邸を移築し、明治期に庭園「松濤園」を整備。
これが現在の「柳川藩主立花邸 御花」で、平成23年に庭園を含む7000坪の敷地全体が「立花氏庭園」として
国の名勝に指定されています。
こちらが、「柳川藩主立花邸・御花」の正面玄関です。
正面に立つ鹿鳴館風の洋館(西洋館)は、明治42~43年ごろに建てられたそうで、とても威厳のある佇まいです。
敷地内に入ると、立派な蘇轍(ソテツ)が出迎えてくれました。
西洋館の白い外壁と、常緑の濃い緑色のコントラストがとても印象的でした。
白い西洋館は、シンメトリックで、雁行する平面計画で、正面玄関には、ギリシャ風の石の円柱が設けられた
非常に格式高い建築です。
建物の中も、当然ながら立派でゴージャスな造りです。
大きな開口部が随所に設けられ、とても明るい空間となっています。
公開されている建物内部は、訪れた時、ちょうど結婚式場のような設えがされていました。
こちらは、西洋館と繋がっている日本家屋(本館)の板敷きの広間のような空間です。
この広間にはソファが置かれ、天井からは無数の吊り飾りがぶら下げられ、甲冑も置かれた和洋折衷の趣きです。
奥には中庭が見えています。
こちらは、西洋館と本館との間に設けられた中庭。
ここにも立派な蘇轍(ソテツ)が植えられていました。
こちらは、本館の長い廊下の長押に飾られていた、立花家伝来の兜がずらりと並んでいました。
解説によると、この「金箔押桃形兜」は、西洋甲冑の影響を受けて作られたもので、その形が桃の実を思わせる
ことから「桃形兜」と呼ばれるそうです。
安土桃山時代に、立花宗茂が一隊全員に揃って着用させたと伝わっているそうで、現在も200頭以上残っているようです。
そして、こちらが本館の約100畳の大広間。
さすが大名屋敷!立派な大空間です。
その大広間から見えるのが、松の庭園「松濤園」です。
ちょうど観光客の2人が庭を見ながら語らっておられました。
広縁側へ近づいてみました。
そこには一面松の庭が広がっていました。
「松濤園」は、明治期に入って整えられた近代和風庭園で、池を中心に周囲に280本もの黒松を配した
華やかな庭で、池の岩島の配置には当時の伯爵・立花寛治の意向が強く反映されているらしいです。
池の水は柳川城の濠の水を循環させるように作ってあり、1500個の庭石、石灯籠14基が配置され、2つの島と
多数の岩島が浮かぶ水面は、冬場、野鴨が飛来し、冬の風物詩になるそうです。
広縁に出て、「松濤園」を一望したアングルです。
広すぎて、広角レンズでも収まり切らない、圧巻の大名庭園です。
向かって右方向を見たアングルです。
奥の建物は、立花家史料館に繋がる近代的な建物です。
向かって左側、軒先の深い下屋と広縁、そして黒松のみで作られた緑深い庭園が広がります。
広縁から庭に降りることができるようです。
立派な沓脱石(くつぬぎ石)が2つ、据えられていました。
別の沓脱石も、また見事!
とても風格があります。
こちらは、庭(松濤園)に降りて、庭を横から見たアングルです。
奥に見えている黒い近代的な建物は、宿泊施設でしょうか?
立花家の屋敷を受け継ぐ「御花(おはな)」は、現在も立花家の末裔が守り続ける料亭旅館となっています。
7000坪に及ぶ屋敷全体が、国指定の文化財(国指定名勝)という、日本で唯一「泊まれる国指定名勝」として
知られています。
こちらは、「松濤園」の池の中に設けられた、素晴らしい石組の数々。
周囲の松が作り出す風景が、池の水にリフレクションして、美しさが倍増しています。
地元の人から「御花(おはな)」と呼び親しまれてきた、この柳川藩主立花氏の別邸。
往時の面影を色濃く残す建築空間や調度品、そして素晴らしい庭園には、
柳川藩の格式と美意識が静かに息づいているようでした。
「水郷の街」柳川へ行かれることがあれば、是非この「柳川藩主立花邸・御花」を訪れていただきたいと思います。
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