お庭からベランダ、エクステリアなどガーデニング回りをスタイリッシュに演出

 

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お正月の気分は1月1日か2日で終わらせて、なるべくなら、さっさと気持ちを日常に戻したいと思うのは私だけ?

インスタには、湯気のあがるお雑煮を乗せましたが、吉谷家の元旦恒例、菩提寺墓参り以外はず〜っと家にいるので、何をしているかというと、とにかく持ち物の整理整頓。引き出しを全部ひっくり返して整理整頓、やり始めると楽しいですよね。要るもの要らないもの。無くしてたと思っていたものがでてきたり。

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特に、コロナ禍の鬱防止はに、過去の写真整理。私には、これが良かったです。

(写真はドイツの年末。あちらでもこの時期、レンテンローズが最盛期)

データに溜まったのもそうですが、昔のプリントも、いらないのは捨てて。

良いものはちゃんとアルバムに入れるなど。箱にひたすらびっしり入ったものは整理しないとですね。溜まる一方だし。お年賀状やお名刺も古いものと、まだ取って置くものを分類し...。台所や居間も引き出しや棚の整理に没頭した年末年始でした。

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古い写真。昔は今ほどにはたくさんの写真を撮らなかったので、ワンチャンスの1枚写真で本当に少ないものです。私はその旅行で手にしたチケットや領収書なども一緒にアルバムに貼っていました。そのグラフィックも面白いし、日にちなども残るので。

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そして、何十年前の写真だか。新年早々。またヨーロッパの夢?!やっぱりヨーロッパの美しさは格別。そして、新年はテレビで無観客のウィーン学友会館でのニューイヤーコンサート鑑賞。毎度思いますが、生の花の装飾が凄いです。リッカルド・ムーティさんの指揮でした。ウイーンへは音楽のためになどか行きましたが昔はドレスコードがクラシックでしたから夜はタキシード必須な雰囲気でした。女性はドレス。

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1980年代のことですから、夫はトキオクマガイのタキシード。私はどうしてもイブニングドレスが似合わなかったのでウイーンのサンローランでタキシードを買いました。この時期、サンローランのタキシードがちょっとしたブームだったのです。

わ!良くみたら写真の日付1987年1月6日1982年の旅行の5年後でした。30年以上前のことで30歳になったばかりのころか。ウイーン国立歌劇場と市民歌劇場に1週間ほぼ毎日通ったときか。シュトラウスのコウモリを劇場違いで見るとか、

あの頃は、イタリア映画の巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ監督に並ぶ、フランコ・ゼッフィレッリ演出のオペラなどが上演され(私が観たのは本物の馬の騎馬隊がでてくるカルメン。舞台から馬の匂いが溢れてくる)、バブル期で今よりリッチな時代でした。まだ80年代、もちろん私は観たことないけれども、マリア・カラスの公演を実際に観た人などが周囲に居たし、私もカラヤン指揮の演奏は何度か行けたし、伝説のような世界が生で感じられる時代でもあったのです。

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この旅行は、編集者の友人、G君と夫と3人で、ドイツから始まって・ウィーン・ブタペストの旅行でした。冒険の旅。面白かった。ザルツブルグのシュロスホテルに泊まった後、ウイーンで泊まったのはホテル・カイゼリン・エリザベートだったか。ブタペストでは温泉のついたホテル・ゲッレールト(Gellért Gyógyfürdő)。ハンガリーの文化に夢中だった時期です。ウイーンは当時、「過去への非常扉」といわれ、アドルフ・ロースなどが設計したカフェなどがそのままにあったのでした。今もそうかな?味濃い文化。パリとはまた違うけれど、香りの濃い世界でした。

ウイーン。今はどうなんでしょう。もう、25年以上行ってません。

でもテレビで見るだけですが、今も、ウィーンフィルが世界で最高に好きです。でも、ニューイヤーコンサート、私は途中で時々インサートされるバレエの衣装が冴えないのがちょっと。もう少しなんとかならないのかと、オーストリアのアンチファッションぶりを憂う。

4度ほど、冬のウィーンでオペラ三昧で過ごしたことがあるのですが、学友会館のチケットだけはどうにも手に入らない。行ったことがない。また、20世紀はオンラインが存在せず、電話やファックスで、そして、チケット類は写真のような印刷物でした。でも、今は完全にデータ送信で自宅のプリンターでの印字。だからこのような印刷物は今となっては、どれも貴重な気がします。夫と私は年末のウィーンで太りまくり顔がまんまるです。ちなみに夏のウイーンはアンチファッション度が強い。オペラもやっていない時期だったので2度行って2度ともがっかりしていました。

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こうして、1982年から約十年間のアルバムを見ると、これこそが宝じゃないかと思う。今はなくなってしまったものだらけ。な、感じなのです。

そして、ドイツ語圏のチャーミングなグラフィックス。真ん中の三角の袋はフルーツを買うとこのなかに入れてくれる。Obst は日本語にするとフルーツ。ウィーンのデーメルのグラフィックに感動したり。まだ、東京にデーメルもラデュレも、だれもそんな店を知らなかった時代です。始めて見て食べてワクワクすることがいっぱいだった1980年代。

右端の写真の私は、例のT E Eの食堂車にて。いまはこういう対面式の食堂車も減ってしまいました。昔の新幹線も対面テーブルがあったけど。

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今は、インターシティ・エクスプレス。写真はもう21世紀に入って。食堂車はなく、あったとしてこのような小さなカウンター。食べ物はプラスチック・パックに入ったサンドイッチのみ。列車内のレストランでフルコースなんて、滅多に見かけなくなりました。以前は列車に乗る前に予約をしたりできたんだけど。少し味気ないですね。コンパートメント車も減ってしまったし。この時はニュルンベルグからミュンヘンへの移動。

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ドイッチェ・バーン。Deutsche bahn ドイツ鉄道のマークが美しいし、日本の鉄道のように、とはいえかなり時間に正確だし。本当にヨーロッパの鉄道の旅は良いものです。

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ユーレイルパスなどを使って、初めての 3ヶ月のヨーロッパ旅行はドイツから始まったので、今も懐かしさが溢れます。当時、夫の大学時代の同学年の友人である声楽家の古嵜靖子さんがシュトゥットガルト州立劇場で歌っていたので、その家に転がり込んだのがオペラとの出会い。26歳でした。始めて観たのは、ローゼンカバリエ。

写真はニュールンベルグで、1982年、始めてこの地に立った時は、第二次世界大戦で街の全てが焦土となったのに、寸分違わず戦前と同じに立て直した話を聞いて本当に驚きました。良く見ればやはり街は新しいのですが、まだ100年も経ってはいないのですから。

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38年前の始めてのヨーロッパ旅行。飛行機のチケットは最も安い南回りのシンガポール・エアラインのエコノミーで20時間近くかかってスイスに到着。途中、香港、シンガポール、ドバイなどに止まり、ようやくスイスに着いた時は、本当に生まれて初めてのヨーロッパ。遠いところに来たものだと感動しました。その翌年の年末には、やはり当時安かったアエロフロートで少し時短の北回り。しかし、モスクワの空港でストップオーバー。焦げ茶色の水しかでないお風呂とトイレ。びっくりでした。そのときにモスクワのホテルで夫が撮った写真が右上。旅行の2日前に右手を骨折したのでギプスをしての旅行。モスクワの空港で買ったミンクの帽子はこの後、ドイツのローテンブルグで紛失。(悲!)モスクワの後、到着したのは当時の東ベルリン。その後、西ベルリンへ移動し、そこでレンタカーを借りて、東ドイツ経由で西ドイツへ。

当時は同じドイツでも、東と西はまるで違う世界。そんな中、西ベルリンは芸術の都として栄えていて、ベルリン・フィルや、ミース・ファンデルローエの設計した国立美術館などがあり、独特の世界でした。当時の写真がほとんどないのが残念です。

たくさん届いたお年賀状、私も同じようなことを書きましたが、「外国に行ける日を夢見ています」という文言が目立ちました。今年は遠く離れた国のこと。ずっと憧れ夢想する日が増えそうです。


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吉谷桂子

英国園芸研究家、ガーデン&プロダクトデザイナー。7年間英国に在住した経験を生かしたガーデンライフを提案。さまざまなイベントや雑誌などに出演するほか講師を務め、著書も多数。また国際バラとガーデニングショウやレストランなどの植栽デザインを担当。2013年春にファッションブランド「Shade」を立ち上げた。


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